自慢の大工たち

信用を得るには努力が必要。
自分が選んだ道なのだから。

宮大工を曾祖父にもつ丸広建築創業者・渡邉広治は、昭和32年忍野中学校卒業と同時に、2番目の兄に弟子入りし、大工人生の一歩を歩き始めました。教えてもらえるのは初歩的なことだけ。肝心なことは目で見て、覚える。それが職人の世界の当たり前の姿でした。

手で、ノミで土を掘る。カンナがけ、刃物研ぎは大切な日課。長くて寒い冬も現場に火を燃やし、湯をわかして刃物を研ぐ。手のあかぎれが絶えた日はなかったといいます。

そんな3年の日々を経て、ようやく墨つけ。弟子入り後4年経った時には、1人で家1棟を建てることができるようになっていました。更に山中湖で3年修行した後、独立。忍野村に丸広建築が誕生したのです。


丸広建築 渡邉 広治

 

「営業などしたことない、好きじゃない。」
大工が施主に「こういう家をつくりたい。」と言って喜ばれた古き良き時代。

仕事一本、真面目一筋の渡邉でしたが、お母ちゃんと一緒に、それはそれは若い大工を大切にし、たくさん育てました。多いときは一度に5人、住み込みの若者がいた日々。

人間は努力が大事。
努力してきた腕を信じて。自分自身を信じて。そして技術を売って、初めて信用を得るのです。口でどれだけうまく言っても、周りは見ています。時代が変わっても、家が大きくても小さくても。仕事はそんなに変わらない。基本は変わらない。信用を得るには努力をしなさい。見て覚えなさい。
自分で選んだ道なのだから。

渡邉が人生をかけて大工に伝え続けたのは、
このたった2文字だったような気がします。

 

 

大工 渡邉 義郎

木も人間と同じで、ひねくれ者と素直なのがあるんです。大工を50年もやっていると、一目見ただけでその木がどんな木かがわかるようになりましたね。曲がった木なんかは、すごく手がかかるんだけど、その分しっかりしてたりするんです。木は奥が深いですよ、生きているから。
今の人は見た目のいい家を欲しがりますけど、それだけで選ばすに中身がしっかりしているかをちゃんと見てもらいたいですね。やっぱり材料や構造がしっかりしていないと家は長持ちしないんですよ。
丸広の建てる家は親方のこだわりで材料はいいものを使うし、骨組みは丈夫。入母屋の化粧などの難しい技も、どこにも負けない自信があります。何年経っても口が開かない、狂いのない家を建てること、それが私のこだわりです。
旅行なんかに行ってもついつい建物のつくりが気になってしまいますね。ずっと大工をやってるから仕事以外でも建物にしか目がいかないんですよ。(笑)京都の清水寺の梁、あれは本当に立派でしたねぇ、忘れられません。