渡邉 広一

渡邉 広一
建築はとても厳しい仕事

小学生の頃からずっと外交官になることを夢みていました。
建築はとても厳しい仕事です。自分の時間などなく、仕事仕事の毎日を送る父と、辛抱しながら働く住み込みの若い人たちを見て育ちましたから、建築関係の仕事に就きたいとは全く思いませんでした。
そして父も私に「跡を継げ」と一度も言いませんでした。そんな私が、何故今ここに存在するのか。
父も根っからの職人です。

 

「やりたいことをやればいい。かけられる金は全てかけてやる。でも、けじめはつけろ。できなければ、すっぱり諦めろ。」という言葉と共に東京に送り出してくれました。東京で2年の浪人生活。結果、希望の大学に受かることはありませんでした。そんな私に「普通の大学を出て、普通のサラリーマン。では困る。」と。(笑)
建築の専門学校に通った後、当時丸広建築が依頼していた地元の設計事務所に就職し、建築の現場と設計を学びました。そうこうしている内に、初めて父から言われた「戻って来い!」。きっと息子が地元に帰ってきているのに現場以外の様々な仕事が面倒くさくなったのでしょう。
家に帰れば当然のことながら先輩ばかり。当時、建築業界はとても良い時代で丸広建築も活気にあふれていましたが、自分の心は冷えていました。まず私が最初にしなければならないことは、自分の足場をつくることでした。それは職人たちと対等に話ができて、職人たちに「広一の意見をきいてやろう」と認めてもらうこと。大変でしたね。10年かかりました。

親の想いに、私も想いで返したい。

これまでの丸広建築の家づくりは、父が「これがいい」と言えば、すべて父にお任せ、そしてお客様は大満足の家づくりでした。
そんな偉大な家づくり職人の父が育てた素晴らしい大工たちに支えられ、私はお客様と徹底的にお打ち合わせすることを大切に考えた家づくりをもって、丸広建築を継承していきたいと思います。
父が培ってきた伝統を土壌に、日々豊かになる新しい家づくりのあれこれを、お客様のライフスタイルにうまく取り入れられたら最高です。
大学を落ちた時、「よく素直に戻ってきたね」と言われますが、子供に好きなことを好きなだけやらせるということが、どれだけすごいことなのか、心からわかったんです。
親の想いに、私も想いで返したいー。それが私の選んだ人生です。

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